-
引退馬の余生として待ち受けている現実とは・・・
2024年2月12日HERO IS COMING
2022年からJRAのCMは、この「HERO IS COMING」をキャッチフレーズにして、様々な名馬を紹介しています。ディープインパクトやオグリキャップ、ウォッカ、ゴールドシップなど、競馬が好きな人であれば、少なくても1頭はHIROな馬が思い浮かぶと思います。このようなHIROになれた馬は、競走馬を引退したら繁殖という仕事が待っており、同時に安心した余生も確保されています。
しかしすべての競走馬がHIROになれる訳ではありません。これも弱肉強食の世界といってしまえばそうかも知れませんが・・・
HIROになれなかった馬たちには、どのような余生が待ち受けているのでしょうか。残酷な話ですが、その馬たちの待っているのは殺処分という現実です。
そもそも競走馬は何のために産まれてくるのでしょうか。もちろん競馬で走るためです。そして競走馬には、生産者はじめ調教師や厩務員、騎手などといった様々な人々が関わっていきます。
競走馬にはそれなりの価値が付けられ馬主に売られていきます。そしてそれぞれの調教師の元で訓練を受けて、晴れてレースに出走できるようになります。レースで良い成績を挙げれば賞金がそれぞれの人に分配されます。
競馬ファンは1レース1レースに馬券を握りしめ、ドキドキしながら歓声を上げたりテレビやモニターに釘付けになって競馬を楽しんでいます。中には競馬のギャンブル性に憑りつかれ人生を台無しにしてしまう人もいるでしょう。
このように競走馬は、競馬に携わるすべての人々のために産まれてきます。人間のために産まれてくる以上、人間はその馬が生涯をまっとうするまで責任を持って管理しなければならないのだと私は考えます。しかし、現実は違うのです。
JRAのレースで思うような成績を残せなかった馬の多くは、JRAよりもレベルの低い地方競馬に移籍するか乗馬として第二の余生を送ることになります。ただし乗馬とはいっても必ずしも乗馬馬になれる訳ではありません。乗馬馬になるためには競走馬とは全く異なった訓練を受けなければならず、馬によってはその訓練に付いていけず乗馬馬になれない事もあります。そうなった馬たちは行き場所がなくなってしまい、行方不明になる事も多いと言われています。行方不明になるという事は、殺処分されたという事です。とても悲しい事ですが、これが現実なのです。
人のために産まれて、人のために競走馬となり、そして使い物にならなくなったら殺処分されてしまう。こんな現実から早く脱却しなければなりません。牛や豚も食肉として屠殺されますが、牛や豚は生まれながら食肉としてこの世に生を受けるのに対して、馬は食肉としてではなく競走馬としてこの世に生を受けます。であるなら使い物にならなくなったからといって食肉や家畜肉として屠殺されてしまうのは間違っているのではないでしょうか。
昨今、引退馬の余生を守る活動をする団体が増えてきていますが、まだすべての引退馬が安心して余生を送れるまでには至っていません。聞いた話ですが、安心した余生を送れる馬は全体の3割程度と聞いた事があります。
私はこのブログを通じて、引退馬の余生を守る活動を紹介し、多くの人に知っていただき、すべての馬が安心して余生を送ることができるような世の中を目指していきます。
その他のカテゴリー紹介
競走馬についての基礎知識http://kiso-tishiki
ホーム競走馬の余生と競馬を楽しむサイト | 競走馬の情報、全国の競馬場の情報を掲載しております。 (kyosoba-yosei.com)