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アルツハイマー型認知症の父を4年間介護して、私が最後まで苦しんだ“後悔”
2026年5月25日
父を老人ホームに入れたことを、私は今でも後悔しています。
ですが、あの時の私たち家族には限界がありました。
アルツハイマー型認知症の父を4年間介護して感じたことを書きます。〇認知症は遺伝するか?
私の家系は認知症の家系と言っても過言ではありません。
私が小学4年生の頃、祖父が認知症(当時は痴呆症と言われていました)になり、家での生活が難しくなりました。私が中学生になると病院に入院するようになり、そのまま家に帰ってくることはなく、1年後に亡くなりました。
私の祖母もアルツハイマー型認知症になりました。 祖母は80代になってからアルツハイマーを発症し、進行が遅かったこともあり、94歳まで長生きしました。
そして私の父もアルツハイマー型認知症に掛かり、約4年間の介護生活を送った後、老人ホームに入所してその後病院に入院して1年後に亡くなりました。
こう見てみると”認知症は遺伝”すると思いがちですが、医学的にはそうではないようです。 私個人として感じた共通点ですが、 私の祖母と父の場合、どちらも認知症を発症する数年前から話し相手が少なくなりました。
それまでは交友関係が多かった2人ですが、歳を重ねるごとに友人が亡くなっていき、会うこともなくなっていきます。 そして家族以外とは話す機会がなくなり、家族も日中は仕事で家を出てしまうので、その間話し相手がいなくなります。
アルツハイマーの医学的原因は、脳内にアミロードベータやタウといった物質が蓄積されることとされていますが、私はそれだけではなく、私の家族が陥った、”孤独”も一つの要因ではないかと考えます。
ちなみに私の祖父の場合は、転倒した際に頭部を打ってから発症しており、アルツハイマー型ではないと聞いています。
〇認知症の進行について
父の物忘れは、最初は本当に軽い物忘れ程度のものでしたが、徐々に見当識障害と言って、日時・場所・人の名前が分からなくなっていきました。
父の物忘れが顕著に現れ始めた時、父が通っていた糖尿病外来の先生に相談して、大学病院宛に紹介状を書いてもらいました。
大学病院でアルツハイマー型認知症と診断を受けたら、次は地域包括支援センターに行き、要介護認定の申込みとケアマネジャーの依頼をしました。
最初の要介護認定で要支援1と判定され、ケアマネジャーの紹介でデイサービスに週2回通うようになりました。
そのデイサービスでは父が昔から好きだった将棋や麻雀ができたので、父も喜んで通っていました。
父の認知症が急激に悪化したのは、ショートステイを利用してからです。 私が父をショートステイに入れると決めたのは、私の妻のことを考えてのことでした。 妻は文句も言わず父の介護に献身的に行ってくれていましたが、精神的に疲弊していくのが顕著に見られていました。
しかし、
・毎晩夜中に起こされたり
・食事が終わったばかりなのに、食事を要求されたり
・何度も外に出掛けようとして、行方不明にならないように止めたり
毎日こんな状況を続けいくと、精神的に参ってしまいます。 自分とは血の繋がっていない夫の親ならなおさらだと思います。
ショートステイを利用すると、父はどこに連れてこられたのか不安になったことでしょう。 いつも自分が生活している場所ではない所で過ごさなければならなきことは、とても辛かったと思います。
最初は2泊3日から始めましたが、徐々に伸ばして1週間利用を月2回行うようになると、更に悪化していきます。
・家の雨戸を全部外して部屋の中に並べる
・数珠や線香を食べよう、口の中でもぐもぐしている
・服を何枚も重ね着して、多い時は12枚も着ていた
そして最終的には便失禁をするまで悪化し、急いで特別養護老人ホームを探しました。
しかし特養に入るには色々手続きがあり、条件の一つである要介護3になった時には、1000人を超える待ちの状態でした。
この状況で1000人待つ訳にはいかず、 有料でもすぐに入れる老人ホームを探して、家から車で1時間ほどの所の老人ホームに入居しました。
〇父の死と後悔
父は老人ホームに入居してから、月1、2回程度で面会に行きましたが、明らかに様子はおかしくなっていきました。 なんとか私の名前と顔は覚えていてくれましたが、可愛がっていた犬のことや私の兄のことなどは完全に忘れていました。
そして入居してからわずか4ヶ月で問題行動を起こしてしまいました。 父は隣の人の居室に勝手に入り、その人の私物を壊してしまったのです。 そしてその人に怒られた際、その人に対して手を出してしまいました。 幸いその人に怪我はなかったですが、父はその老人ホームから出されることになり、遠く離れた精神病院に入るしかありませんでした。
そして、精神病院に入院してから約半年で急に体調を悪化させ、最終的には脳梗塞の診断で亡くなりました。
病院から知らせが入った時にはすでに危険な状態で、車で2時間掛かる病院まで急いで向かいましたが間に合いませんでした。 父が家を出てから1年で、あっという間に旅立ってしまいました。
私は病院に着いて、霊安室に横たわっている父に対して、「父さん、ごめんね」 という言葉が自然と出てきました。
父が認知症になった原因は私にあるかどうかは分かりませんが、父を老人ホームに入れたのは私です。 そして精神病院に入らざるを得なくなった状況を作ったのも私だと思っています。 私は横たわる父を前に後悔に打ちひしがれていました。
ただ唯一、私を救ってくれたのは、 父が以前言っていたことを思い出したことです。
母を癌で亡くした時、父もかなり落ち込んでいました。 そして私に
「父さんが病気で倒れたら、コロッと母さんの所に行かせてくれよな」
父もずっと寂しかったのでしょう。 早く母に会いたいと急いで天国に旅立ったのだと思えると、少しは気持ちが穏やかになりました。
〇認知症介護の大変さ
私が4年間父の介護を行なって感じたことは、 人は親の介護を背負い込んでしまいがちで精神的な苦痛が非常に強いということです。
人によっては全く介護に関わろうとしない人もいます。 それが兄弟喧嘩や家族トラブルの原因にもなりますが、 介護を請け負ってしまうと、一人で背負い込んでしまいます。
背負い込んでしまうから、親のちょっとした問題行動に対してイライラし、暴言を吐いてしまう。 私もそうでした。 怒ってもしょうがない、逆効果であることは重々分かっているのに、声を荒げてしまう。 そしてそんな自分を責めてしまう。
自分の精神的な崩壊を防ぐためにショートステイを利用しても、それが原因で認知症が悪化してしまい、また自分を責めてしまう。 結局親の認知症の悪化は自分のせいだと思い込んでしまう。
これほど辛いことはありません。
〇最後に
今、親の認知症介護をされている方、 親が認知症かも知れないと思われた方へ 認知症の介護は、自分も壊しかねない辛くてしんどいものです。
・一人で背負わず、誰かと協力して行う
・悪い方向に進んでも自分を責めない
以上のことを念頭に入れて、 無理のない範囲で、様々な福祉サービスを利用して下さい。 介護を通して自分が病んでしまったら、介護を受ける親が一番悲しい思いをします。
ここまで育ててくれた感謝を忘れずに、できるだけ笑顔で見送ってあげられるように関われると良いですね。
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