• 適応障害になって働けなくなった私が、1年半かけて回復するまで

    2026年5月27日

    私は8年ほど前、適応障害になり、約1年半働けなくなった時期があります。
    当時は、「まさか自分が心の病気になるなんて」と信じられませんでした。

    適応障害というと、今の皇后陛下雅子様が罹患した病気として有名ですが、 私がなぜこの病気に罹患し、どうやって回復していったかをお伝えします。

    ○適応障害ってどんな病気?

    適応障害とは、仕事や人間関係、学校、家庭などで、過度なストレスを受け、心身のバランスが崩れてしまい、日常生活に支障をきたす状態です。

    十分な休息と環境を整えることで回復が期待でき、

    症状としては

    ・寝つきが悪い、夜中に起きてしまう

    ・動悸、息苦しい

    ・食欲不振、下痢、嘔吐

    ・集中力低下、物忘れ

    ・涙もろい、気分の低下、イライラ などが見られます。

    ○適応障害に罹った原因 私が適応障害に罹った原因は1つだけではなく、2つの要因が重なったことだと思っています。

    ①仕事に対する過度なストレス

    私は障害者福祉関係の仕事をしていますが、当時は生活介護事業の施設でサービス管理責任者(サビ管)として勤務していました。

    サビ管の仕事内容は、利用者さんの個別支援計画の作成を主に行います。

    そしてその計画を利用者さんとその保護者に説明し、半年毎にモニタリングと言って、計画を見直し、再度新しい計画を作成していきます。

    つまりサビ管になると、利用者さんだけでなく、保護者との関わりも増えてきます。

    サビ管になってからしばらくの間は問題なく仕事ができていましたが、ある時私の上司と保護者の間で揉め事が起きました。

    そして私はその上司と保護者の板挟みになり、上司からは毎日のように愚痴聞きと叱責を受けるようになりました。

    父親の介護

    家では父親のアルツハイマー型認知症が徐々に悪化し始めてきた時で、妻の負担を極力減らす為にできるだけ早く帰宅したかったのですが、 なかなか定時で帰ることができない状態が続いていました。

    個別支援計画作成などの業務であれば、家に持ち帰って行うことも可能ですが、上司からの愚痴聞きや叱責を受けることは家に持ち帰ることはできません。

    上司には父の認知症の件は何度も話していましたが、上司の話がエスカレートすると止まらなくなってしまいます。

    そんな日々が続いて、私は妻に対しても父に対しても罪悪感を持つようになりました。

    ○適応障害が分かった時

    ある日、職場について仕事を始めようとしましたが、急に身体が動かなくなりました。

    して更衣室で座り込んでしまい、そこから涙が止まらなくなりました。 涙を抑えようとしても勝手に流れてきます。そして周りの人に聞こえるくらい嗚咽して泣き続けました。

    その時はなんで自分が泣いているのか分かりませんでした。

    その日は全く仕事にならなかったので、早退させてもらい、妻の助言を受けて診療内科を受診したところ、”適応障害”との診断を受けました。

    医師からは、2週間の休養を指示され休むことになります。

    2週間仕事を休みましたが、家には認知症の父がいます。 週に2日はデイサービスに通っていたので、実質週5日は父の介護をしていました。

    2週間の休養で症状が良くなることもなく、仕事に復帰するもまた2週間で仕事に行けなくなってしまいました。

    その後は一度も仕事に行ける日はなく、結局2ヶ月後に退職することにしました。

    ○どうやって回復できたか

    その後私は約1年半に掛けて休職することになります。

    休職し始めの頃は、何もする気が起きず、ただ家でゴロゴロ休んでいました。

    症状としては、

    ・寝つきが悪い

    ・下痢

    ・動悸

    ・酷い肩こり

    ・背中がゾワゾワする

    などがみられ、ゴロゴロしていても全く休んでる気分はありません。

    診療内科では眠剤と精神安定剤が処方され、毎晩服薬しましたが、症状は改善しませんでした。

    このようなどん底状態から、どのようにして適応障害から克服できたのか、見ていきましょう。

    ①好きなことを積極的にする

    ちょうどその頃、父の認知症がさらに悪化し、妻と私のメンタルも限界に近づいていたので、父のケアマネジャーさんに相談し、ショートステイを利用することになりました。

    この父のショートステイ中に、妻が日帰り旅行や一泊旅行を提案してくれました。

    私はもともと旅行が好きで、それを妻も知っていて提案してくれ、とても有難かったです。

    私も無理のない範囲で積極的に楽しもうと思いました。 はじめのうちはすぐに疲れてしまうので、日帰り旅行から行くことにし、徐々に慣れてきてから一泊旅行に行きました。

    1年半の間に5回の日帰り旅行と3回の一泊旅行に行きました。

    一泊旅行は北海道の函館と秋田、そして京都です。

    函館は妻の親戚が住んでおり、その方に色々な所に連れて行ってもらいました。

    秋田も妻の父親の実家です。 自然に触れ美味しい空気を吸って、美味しいご飯を食べ、気持ち良い温泉に入って、心身共にリフレッシュできました。

    ②休む時は全力で休む

    旅行は楽しいですが、やっぱり疲れます。 疲れた時は、徹底的に休みました。

    父の介護をしなければいけない時は仕方ないですが、デイサービスやショートステイ利用中は、極力休みました。

    このように全力で楽しみ、全力で休むことを続けていったら、徐々に症状が改善されていきました。

    そして1年半が経ち、夜も眠れるようになり、肩こりや背中のゾワゾワもなくなり、仕事への意欲も芽生えてきました。

    ○休職期間中に助かったこと

    私が適応障害で休職していた1年半の間、私たち家族を助けてくれたのは、傷病手当金という制度でした。

    傷病手当金とは、病気や怪我により働けなくなった時に社会保険からお金が支払われる制度で、給料の3分の2の金額を最長で1年6ヶ月の間支給されます。

    この制度のおかげもあり、私たちはなんとか生活を維持することができました。

    また1年6ヶ月という長い期間支給されることで、安心して療養できました。

    この安心して療養できたことが、適応障害から回復できた理由の一つであると思っています。

    ○最後に

    今回私が適応障害になったことで一番びっくりしたのは、私自身でした。

    それまで、うつ病院や適応障害などの精神疾患は他人事と考えていましたが、まさか自分が罹るとは思ってもいませんでした。

    そして実際に罹患すると、症状は思っていたよりも重く、 私がそれまで”大したことないだろう”と思っていた病気は、想像を遥かに超えるほど辛いものでした。

    またこの病気を治すには、長い期間の休養が必要で、家族の支えがとても大切です。

    特効薬といったものはなく、少しずつ少しずつゆっくり治していくものです。

    好きなことを積極的にして、休む時はしっかり休むというメリハリ作りも大切だと感じました。

    まだこの適応障害に罹ったことのない方へ、 この病気は、性格上メンタルが弱い人とかストレス耐性の少ない人が罹りやすいと思いがちですが、どんな人でも罹患する可能性があるようです。

    今もし、朝起きるのが辛い、涙が止まらない、仕事に行こうとすると身体が動かない。
    そんな状態なら、無理をしすぎないでください。
    心が壊れてしまう前に、休むことも大切です。

    “自分は絶対に大丈夫”と思うことはせず、いつ罹患するか分からないと考えて、疲れやストレスを溜めすぎない生活を心掛けると良いですね。

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