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父の介護と母の介護|認知症介護とがん介護は全く違った
2026年6月20日
前の記事で、私が4年間に渡り、アルツハイマー型認知症になった父を介護した話をしました。
私はその10年ほど前に、ステージ4のスキルス性胃癌になった母を1年間介護した経験もありました。
そこで私が実感したのは、父の介護と母の介護は、全くの別物であるということでした。
母を1年間介護した末に見送り、その10年後に父の介護をする。
正直、父を介護している時は、そんなことを感じることはありませんでしたが、 父が亡くなってしばらく経った頃、私はあることに気付きました。
それは、父の介護と母の介護では、自分の気持ちが全く違っていたということです。
どういうことなのかを記していきます。
○母の闘病生活
私の母は、2006年の3月にステージ4のスキルス性胃癌であることが分かり、そこから1年間の闘病生活が始まりました。
癌が分かった時にはすでに肝臓やリンパ節に転移が見つかり、手術できる状態ではありませんでした。
癌が分かった翌日から大学病院に入院となり、抗がん剤治療が始まります。
癌が見つかった時は、主治医から持って3ヶ月と言われましたが、3ヶ月間抗がん剤治療を続けたのが功を奏し、胃癌が小さくなっていきました。
そして一度退院が許可され、1ヶ月ほど自宅で過ごします。
その後再び癌が進行するようになり、再度大学病院に入院となります。
しかし今度は、なかなか抗がん剤治療が上手くいかず、進行を止められません。
大学病院から、スキルス性胃癌に対する専門性の高い病院を紹介され、大学病院よりも自宅に近い病院に転院することになりました。
その病院での治療でもなかなか上手くいきません。
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、母は治療に耐えていました。
結局、母は治療の辛さに限界を感じてしまい、年が明けてから、自ら緩和ケアを選択することになります。
そして母は「自宅で最後を迎えたい」という希望を伝え、退院して、訪問診療を受けながら緩和ケアを受けることになります。
そして緩和ケアを始めてから約2ヶ月で、母は亡くなりました。
○母の介護の時の必死さ
母が自宅で最後を迎えるまで、私はできる限り母の介護を行いました。
・点滴の交換
・食事介助
・簡易トイレまでの誘導
もちろん仕事もあったので、私がいない時は父が介護していました。
私が母の介護をしている時は、本当に必死でした。
母が亡くなってから介護していた自分を振り返ってみると、決して助かる見込みのない母を目の前にして、なんとか最後の最後まで、何かに縋りたい思いの一心で母を介護していたのだと思います。
母が近いうちこの世を去ってしまう現実など忘れてしまうくらいでした。
そして2007年の3月のことです。ちょうど癌が分かってから1年経った時、母は静かに眠るように亡くなりました。
母が亡くなって、ひと通りの葬儀や香典返しなどの作業が終わった時、そこにはなぜかホッとした自分がいました。
今思うと、それだけ私は母の介護に必死だったのだと思います。
1週間の忌引きが明けて仕事に復帰しましたが、その直後に行われた健康診断で、体重が5kgも減っており、血液検査では血が薄くなっていると指摘され、ゆっくり休むように勧められたくらいです。
母を介護している間は全く気付かなかったので、本当にびっくりしました。

○父の介護と母の介護の違い
母が亡くなってから約10年が経ち、今度は父がアルツハイマー型認知症に罹患し、4年間の介護生活を送ったことは、前の記事でも書きました。
父の場合は、アルツハイマー型認知症で、母と違い寿命が限られた訳ではありません。
母の時は、限られた時間の中で、やれるだけのことはしなければならないと、必死になっていました。
でも父は、まだ余命を宣告された訳ではありません。
アルツハイマーの進行を遅らせ、健康管理に気をつけて生活すれば、いくらでも長生きできると思っていたので、そこまで必死さはなかったと思います。
父の場合大変だったのは、徐々に衰えている父の姿を見続けなければならなかったことです。
また父の場合、最後は私たちが介護の限界に達してしまい、父を老人ホームに入居させてしまいました。
そして父が亡くなるまでの最後の約1年は直接介護することがなかったことも、母の時とは違ったのだと思います。

○どっちが辛かったか
母の介護と父の介護のどちらが辛かったか考えると、正直比べることができません。
あえて比べるとすれば、母の時は体力的にキツく、父の時は精神的にキツかったと言えます。
ただ父と母が亡くなった時の心境は全く違うものでした。
母が亡くなった時は、先ほども書きましたが、ホッとした気持ちが強かったのですが、 父が亡くなった時は、父に対して「申し訳ない」という後悔の念が強かったです。
しかし、私は母が亡くなってから1ヶ月ほど経った時、嗚咽するほど1人で大泣きしてしまうことがありました。
それはたまたまテレビで音楽番組を見ていた時でした。
ミュージシャンのコブクロさんが歌っていた「蕾」が流れていた時、その歌詞を聞いて、私の母が亡くなる最後の瞬間が目に浮かんだのです。
母が最後の最後に、力を振り絞って「あ・り・が・と・う・・・」と言ったように聞こえ、その後旅立ったことを思い出したからです。
それに比べて父が亡くなった時は、全く泣くことはありませんでした。
父に対して申し訳ないという気持ちはありましたが、直接父の死に目に会っていないのが原因なのかも知れません。
○最後に、家族を介護されている方へ
父の介護と母の介護が全く別物であると感じたのは、父と母が別々の病気だったからというのもあると思います。
認知症の人の介護と末期癌の人の介護では、必要な介護の内容も違ってきます。
・母の場合は限られた命の時間
・父は日に日に衰えていく姿
どっちも比べられないほど辛いです。
今、ご家族を介護されていらっしゃる方、本当に大変な思いをされていると思います。
私が両親の介護を通して感じたことは、親の死を看取れるかどうかで、気持ちに大きな差が生まれるということです。
親の死に目に会えないことが親不孝であるとは、全く思いません。
どうしても親の死に目に会えない場合だって、十分に考えられることです。
ただ献身的に親の介護をしてきた自分自身にとって、親の最後を看取れることで、報われた気持ちになり、看取れなかった時は後悔が生まれました。
親の介護をする上で、親の最後の瞬間を看取れるかどうかの予測や計画を、予め考えておくことは、とても大切なことなのだと感じました。
親の最期を看取れるかどうかは、その時になってみなければ分からないことです。
それでも、もし可能であれば、その時をどう迎えたいのかを家族で話し合っておくことは、とても大切だと思います。
母を看取った経験と、父を看取れなかった経験。
二度の介護を経験した今、私はそう強く感じています。
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