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コンプレックスを受け入れた時、人生は変わった|私が考えるメンタルケア
2026年6月27日
私が小学4年生の頃、円形脱毛症になった話を前回の記事で書きました。
この円形脱毛症という病気が、私を約30年間見た目や外見というコンプレックスに苦しませ続けました。
その後、このコンプレックスを乗り越えて、プライドを捨てることができた過程と心境の変化を、今回の記事で書いていこうと思います。
○私が円形脱毛症になった時
小学4年生の秋のことです。母が私の頭に10円玉くらいのハゲがあるのを見つけました。
母は心配して、私を近くの皮膚科に連れていきます。 先生から、「円形脱毛症」と診断され、塗り薬を処方されました。
その薬を塗り続けたら、1ヶ月ほどで脱毛症が治り、母も私も安心していました。
ところが、それから1ヶ月も経たないうちに、今度は違う所に円形の脱毛症ができてしまいます。
再び母と皮膚科を受診しましたが、今度は治るどころか、どんどん髪の毛が抜け落ちていきます。
毎日、朝起きると枕には抜け落ちた髪の毛がどっさり付いていて、自分でもどうしていいか分からないほどでした。
そして年が明けて3学期が始まった頃には、全ての髪の毛が抜け落ちていました。
○髪の毛のない生活
私は子供ながら、髪の毛がない自分がとても恥ずかしく、外に出る時は必ず帽子を被っていました。
幸い私の頭をイジってくる友達はいなかったので、それが唯一の救いだったのかも知れません。
友達は私を今までと変わりなく遊んでくれました。
それでも、外ですれ違う知らない人に横目で見られたり、二度見されたりして傷付いている自分がいました。
中学3年生の時です。私の祖父が亡くなって葬儀をやっている時、遠い親戚の人が円形脱毛症を専門で診てくれる大学病院を紹介してくれました。
そこで私は母と一緒にその病院に通うことになります。
その病院に行くと、待合室には、私と同じように脱毛症の人がいっぱいいました。
その病院の先生から、ステロイドという飲み薬を処方されます。
これがとても効く薬で、あっという間に髪の毛が生えてきました。
私は心の底から喜び、母も安心して喜んでくれました。 学校の友達もみんな喜んでくれて、やっとこの病気が治ったことに浮かれてしまうほどでした。
しかしこのステロイドという薬はずっと飲み続けることができず、 少しずつ飲む量を減らしていかなければなりません。
副作用も強く、毎日のように下痢や腹痛に襲われました。 そして中学3年生の11月のことです。 またあの「悪夢」が私を襲いました。
○再発、そして…
再び、私の髪の毛が抜け始めました。
最初は少しずつ抜けましたが、ある日を境に一気に抜け落ちるようになりました。
枕には抜け落ちた髪の毛でびっしり。 あの時と同じです。
そして鏡を見て、どうしてもハゲがあることが分かると自覚した時、私は学校に行けなくなりました。
病院の先生から、カツラを付けるよう助言されました。 「カツラを付ければ、恥ずかしがることなく、学校にも行けるし外出もできるようになる」 そう言われて、私は言われるがまま、それを受け入れました。
両親も「その方が良い」と判断し、すぐにカツラを作りに行くことになりました。
2週間ほどでできたカツラを付けてみて、思ったことは、
「どうみてもカツラと分かる」 です。
それでも、カツラを被ることを受け入れるしかないと思い、翌日からカツラを被って学校に行くことにしました。
○地獄のはじまり
その日から私が35歳になるまで、カツラを付け続けました。
付け続けるというよりも、「外せなかった」と言った方がよいと思います。
カツラは一度付けてしまうと、バレるのが怖くて外せなくなります。
正直、「バレているだろう」と心の中では思っているのですが、なかなかそれを受け入れられない自分がいました。
カツラを付けて外を歩くと
・風が吹いて取れたらどうしよう
・人に気づかれたらどうしよう
と色々心配してしまいます。
中学生までは、私の病気を知っている友達ばかりだったので、そこまで心配はしませんでした。
しかし、高校・大学・社会人と成長していくごとに、新しい人たちと会うことになります。
その人たちに、バレたらどうしようという心配が常に付きまとい、私の人生は地獄そのものでした。
○地獄からの解放
私がカツラを取れなかった理由の一つに、「脱毛症が治る可能性がある」ということがありました。
なかなか治らない脱毛症ですが、医療の進歩により、色々な治療法ができて、試してみました。
ある治療法で少しだけ脱毛症が改善したことがあり、「これなら治るかも知れない」と希望が見えました。
結局、少しは改善したものの、それ以上良くなることはありません。
35歳になったある日、担当の先生から、私の人生を大きく変える言葉を告げられました。
「あなたの脱毛症は若ハゲのようなものなので、もう治らないと思います。」
その言葉は、今まで毎週病院に通い、色々な治療をして治るように頑張ってきた私にとって、最も屈辱的な言葉でした。
立ち直れないほど落ち込み、絶望感に浸っていた時、ふと思いました。
「もう治らないなら、隠す必要ないじゃないか」
そこで初めて私は、カツラを捨てる決断をしました。
ちょうどその時、母を亡くして1年が経ち、福祉の仕事に転職しようと考えていたところでした。
「転職をきっかけにカツラを捨てよう」
そう決めて、仕事を辞めたその日に、 カツラを捨てました。
そして帽子も被らず、あるがままの姿で外を歩いてみると、 そこには考えられないほどの解放感と綺麗な景色が見えました。
誰も自分のことを横目で見ない。 強い風が吹いても飛ばされる心配もない。
「カツラのない生活が、こんなに素晴らしいものだったなんて、今まで何をしていたのだろう」
とさえ、思っていました。
○プライドからの脱却

カツラを捨てるまでの私は、とても引っ込み思案で周りの人の目ばかりを気にしていました。
人に笑われたり、馬鹿にされたりすることを心から嫌っていました。
ところがカツラを捨ててからは、真逆の性格になりました。
・人に笑ってもらえる嬉しさ
・頭のことをイジってくれるのは注目されている証拠
そう考えられるようになったエピソードを紹介します。
私が知的障害者の入所施設で働き始めて、半年くらい経った時のことでした。
ある利用者さんが他の利用者さんと喧嘩をしてしまい、その仲裁に入った時のことです。
私の頭をその利用者さんが手で思いっきり叩きました。
「ペチン!」
私も驚きました。
しかし次の瞬間、喧嘩をしていた二人が笑い始めました。
あれほど険悪だった空気が、一瞬で和らいだのです。
2人とも喧嘩をしていたことを忘れてしまったようで、いつの間にか2人は仲直りされていました。
私は頭を叩かれた時はびっくりしましたが、その時の音で利用者さんが喧嘩していたことを忘れるくらい笑ってくれたということに、
「笑いとはこれほどの力があるのか」
と驚き、自分には人に笑ってもらえる武器があることに気づきました。
物事は考えようで、いくらでも前向きに捉えることができる。
そう感じた瞬間でした。
人生で初めて、ハゲていて良かったと思えるようになり、このコンプレックスを取り除けたおかげで、私の中にあった変なプライドもなくなっていきました。
今までは、
・自分がハゲなんて認めたくない
・いつか治るまで誰にも知られたくない
・自分が惨めなんて思われたくない
・自分の本当の姿はこんなものじゃない
など、自分の現状を認めることができず、変なプライドを持っていました。
今まで頑なに守っていたプライドを捨てて生きることで、こんなに楽しい人生がやってくるとは思ってもいませんでした。
○最後に〜私なりのメンタルケア

プライドから脱却できたにも拘らず、その後適応障害になった私が言うのもおこがましい話ですが、その当時の私は、私の人生の中で最も生き生きしていました。
プライドを捨てることで、物事を気楽に考えることができるようになりました。
これは、私自身を支えるメンタルケアとして、理にかなったものだと考えます。
もし今、
人の目が気になって苦しんでいる人がいるなら、
少しだけ肩の力を抜いてみてください。
私も35年間、自分を隠し続けて生きてきました。
しかし、そのプライドを手放した時、ようやく本当の意味で自由になれました。
だから私は今でも思っています。
自分を支える最初のメンタルケアは、「ありのままの自分を認めること」なのだと。
今、自分の状況から抜け出したいと思っている方は、このプライドを捨てるということを一度試してみてはいかがでしょうか。
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